昨日の臨時株主総会ならびにその後に開催されました取締役会におきまして、第2代の社長に就任させていただきました尾崎俊也と申します。島根スサノオマジックという県民に愛される大切なチームを運営する会社の社長ということで、本当に大きな責任を感じています。これから一生懸命頑張ってまいりますので、島根スサノオマジックに対し変わらぬ応援を賜りますよう、よろしくお願いいたします

 今朝は山陰中央新報様の記事で大きく取り上げていただきました。多くの友人から「なんで尾崎がスポーツ欄に出てるんだ?」とメールやLINEで問い合わせをいただきました。
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 簡単に自己紹介いたしますと、私は昭和43年5月8日(46歳)に鳥取県米子市で生まれました。米子市立福原中学校(今は福米中や福生中になってしまいましたが)ではバスケ部に入っていて、米子東高校ではバスケットは1年の途中で辞め、その後はずっと応援団に所属していました。

 大学は京都の同志社大学商学部に進学し、その後に大阪の三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行。その後銀行を退職し、アメリカのロチェスター大学経営大学院(サイモンビジネススクール)をなんとか無事に卒業して1996年(平成8年)に松江に帰ってきました

 帰って来て、父の経営する廃棄物処理・リサイクル事業をおこなうアースサポート株式会社、ビル総合管理の株式会社島根東亜建物管理、同じくビル総合管理の東亜建物管理株式会社で仕事をし、現在はそれぞれの会社の社長をしています。なお、株式会社島根東亜建物管理は島根スサノオマジックのホームコートである松江市総合体育館の指定管理者をさせていただいています

 もともと島根スサノオマジックとの接点は、この松江市総合体育館での指定管理からはじまっています。まだ島根スサノオマジックの神話第1章が始まる前から、島根東亜として役員(監査役)を出させていただいたり(現在監査役は出しておりません)、また上記の3社で株主にならせていただいたりしました

 また、私個人としてもバスケットが好きだったということもあり、また「地域で唯一のプロスポーツチームを盛り上げたい」という強い思いがあり、第1章から一生懸命ブーストさせていただいていました 神話第3章からはユニフォームスポンサーにもならせていただき、とても光栄です

 全国各地にあるローカルのスポーツチームの中で、資金が潤沢にあるというところは少ないのではないでしょうか? その中で島根スサノオマジックは非常に健闘している方だと思いますが、それでもチームの成績が悪くなれば、当然ながらチケット収入やブースタークラブ入会数は落ち込みます 私はそのことを株主の一人として心配し(熱心なブースターでもありますので)、今年の1月からは月に数回ほどボランティアで経営指導に乗り出していました

 というのも、スポーツチームの運営は私は未経験ですが、その運営母体の会社の財務体質の確認や企業として行わなければならない社内の意思疎通、そしてお客さまへの対応等については、一般的な企業となにも変わりがないからです

 そうこうして数ヶ月が経ち、5月になって前任の赤池社長が代表を降りるということを聞かされ、急遽私が社長に就任することになりました。

 何も無いところから社内で一生懸命努力し、赤池社長は島根スサノオマジックを日本一のブースター数を誇るチームに育て上げました その功績は本当に素晴らしいと思いますし、その後を引き継ぐというのはすごく重い責任だと思います。 それに、私には守るべき自分の会社があり、そこにはグループ全体で500人以上の社員もいます。

 そのため、お声を掛けていただいても最初は当然ながらお断りました。しかし、事ここに至っては誰かが赤池社長の後を受けなければいけない。地域であれだけ熱く燃え上がったスサノオの炎を絶対に消してはいけないと悩みに悩みました。そして、「1月から経営指導をさせていただいていたのも何かの運命かもしれない。」と考え、最終的にはグループ各社の取締役会で説明し、各社の役員に後押しをしていただいて社長就任を決意しました。

 社長就任の打診を最初にいただいたのが5月7日でしたので、昨日の株主総会までわずか1週間足らずという短い時間で決めなければならず、私も本当に悩みました。

 しかし、お受けした限りは島根スサノオマジックが私の本業だと考え、一生懸命頑張る所存です 恐らく任期は短くなると思いますが、限られた時間の中でしっかり成果を出したいと思っています

 これから頑張って参りますので、今後ともご指導賜りますようよろしくお願いいたします